【 自傷行為と代償 】
引き続き状態はうつ傾向にあります。
それでも、文字を打つことはできる。
このことが、どれだけわたしを救ったかわかりません。
音楽さえ聴くことが出来なくても、文章を打つことはできます。どれだけしんどくても、つらくても『できること』がある、ということはこんなにも自信と気分転換になるのだと思わされました。
昨日は、昼食後から急激に体調が下降していき、夕方になる頃にはパニック寸前でした。
そのため、家族と相談し頓服である『コントミン糖衣錠 12.5mg 』を服用しました。
しかし、そわそわと焦燥感、落ち着きのなさ、衝動的な感情、パニックなどの感情が溢れだして止まらず、頓服が効く前に自傷行為に走ってしまいした。
手にしたのは包丁です。
握っただけでも多少落ち着き、安心しました。
包丁は、押し当てただけではスパッと切れません。押し当てて引くか押さないと傷はつきません。(余程研ぎ味の良い包丁でなければ・・・)
押し付けただけでも傷にはならずとも、押し付けた痕は残るので、それだけでも落ち着いて満足することがあります。
しかし昨日は、やはり切らずにはいられなかったです。
躁状態の時は迷わずスパッと切ります。理由もなくです。そしてなんとなく落ち着いて、その後はケロッとしているのです。あとから自分で考えてもなんだか怖い人です。
今回はうつ状態。切ることに躊躇いがあって思うように切れませんでしたが、最終的には多少の血が出るくらいの傷はつきました。
完全に落ち着き切ることは出来ませんでしたが、徐々に頓服が効いてきたのかそこで包丁からは手を放すことができました。
自傷行為中は、『つらい、苦しい』、『誰か助けて』という気持ちがこころの中でぐるぐるぐるぐる回っていました。
頓服が完全に効いてからは、さっきまでのことが嘘のように元気になって家事をし始めました。
わたしの場合、自傷行為は完全に『逃げ道』です。
耐えがたいこころの痛みや、どうしたらいいかわからないパニック状態の時にそこから落ち着くための手段です。
すごく楽になります。その一瞬だけは、もやもやとした視界が晴れて透きとおります。
しかし、自分を傷つけることは普段から癖になります。
わたしのこころの中では常に、自分自身を責め罵倒するような声が響き渡っています。
こころの中で自分を傷つけることが自傷行為にあたるとすれば、わたしは生活のほとんどの部分で自傷行為をしていることになります。
精神的な自傷行為をしては落ち込み、物理的な自傷行為をしては落ち着きを取り戻す。
わたしの人生、これの繰り返しです。
なんとか、このループを断ち切れたらいいとは思うのですが・・・。
染み込んだ習性というのはなかなか治すことはできません。
わたしの抱えている問題の中でも最も大きいものだと思っています。
お昼ごはんのブロッコリーの天ぷらです。大きさにびっくり。

今日もあまり体調が良くないのでゆっくり過ごせたらいいなと思います。
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